令和に思うこと
やっぱり日本人は宗教的なんだなと思う
"そんなこと無いよ!"という声が大半だとは思うけど、海外の人は誰も日本人が非宗教的と思っていないです。特に、今この瞬間。
”日本は先進国でも稀に見る一大宗教国家に見えてます”
日本研究科家の目から見る天皇とは?
天皇が退任するという歴史上数少ない事象を目にして思うのは学生時代の研究室での教授とのやりとり。
当時、天皇の崩御の記録というのは実はあまり残っていなくて、限られた伝聞が残っている程度。部分的な動画記録もあったが日本文化を研究するものにとっては、一体日本で何が起きるのかを直接目にする機会として注目されていた。
かくして、彼は突然キャンパスから消えたw
彼の持論(と言うよりは日本文化研究家には当たり前の話)では「日本人ほど宗教的な国民は近代国家では珍しく、イスラム教徒に次ぐ宗教的価値観を持っている」と。
当時の自分から見れば日本人が宗教的などとは微塵も思っておらず、最初は教授の考えに対して真っ向から反発した。自分が如何に非宗教的なのかをアピールした。
過去に多くの日本人留学生を教えている教授にしてみれば想定内の反発であり、無知な日本人留学生を諌めるのは簡単な事。そして、私自身自らの行動が如何に宗教的な根拠に基づいているかを、彼の授業を通して学ばせてもらった。
むしろブラウン教授にとっては、私は典型的な無意識な宗教信者として面白いサンプルで、人類学の授業でもケーススタディー的にいじられまくった。
大前提として、神はいない(と言ってしまうのは問題もあるのだが)のは事実(仮説)である。
しかし同時に、何らかの力、或いは心理が人間の行動を制御していて、それが宗教的な価値観なのである
要するに"宗教的である"、"信心深い"というのは定義によって変わるのだ。
キリスト教(一般的な解釈)においては神の存在を信じることであり、
私の中では日本人に根付いている宗教的価値観というのは、いまだに整理がついていないけど、学術界的には”宗教的である”と言う定義は、必ずしも神の存在を信じるとか、教会に通うではなくて、無意識に非科学的な行動をとってしまう事も当て嵌まるのだと。
結局のところ海外の人から見ると、今回の改元を見れば日本人は全体的に極めて宗教的な人種にしか見えないのよね。
「別に天皇が神と思ってないし」とか「神様はいないし」「お祭りごとだから」とか言う話は一般的だけど、行動学的に見てしまえば、大半の国民が天皇の存在を認め、改元という経済的な混乱と損失に対して大きな抵抗をする訳でもなく、5月1日の改元に向けてカウントダウンをしてしまうというのは、説明のつかない心理(=定義上の宗教)が人々を動かしてしまうこと。
TV番組でも「令和を迎えて、新しい時代が・・・・」という論調もあるが、そもそも政権も変わらないなか、何も今までと変わらないのが事実。こんな事を複数の局のアナウンサーが真顔で言う国は日本くらいでは無いだろうか?本当に無宗教であれば、公共の電波で「令和を迎えて、新しい時代・・・」という宗教的んステートメントにこそ強烈なクレームがくるのではないか?
宗教とそれに対峙する価値観(科学)との境目
ダン・ブラウンという米国人作家がいるけど、彼の作品がすべてにおいて、この宗教感を語っている。
これは人間が、自分達の知識で理解できる範囲が科学であり、それを超える部分が宗教と認識する。従って科学で理解できる範囲は時と共に広がり、神の力(宗教)と解釈される部分は必然的に狭まってくる。この境目を巡るせめぎ合いである。
古くは、火は神の力であり人間には理解できないものだった。
地震は神の怒りであり、人々は自らの過ちと捉え悔い改めるしか無かった。
ダン・ブラウンの作品は教会が神の威厳を保つために、科学ではない神の絶対的な力を見せるというスキーム(またはその逆)が大筋。これは"天使と悪魔"における"カメルレンゴ"であり、"デセプション・ポイント"における"NASAの陰謀"である。
本当に答えの無い、社会科学の話です。
さあ、まだまだ頑張らないとw