コンテンツの死
この手の記事を見るたびにテレビ、というかその周辺の人達は学ばないなぁ〜と思ってしまう。視聴率なんてものはコンテンツの価値とは別なのに。
CM枠という観点で見ればリアルタイム視聴こそが目指すところなのだろうけど、今どき録画をして見るのは当たり前の話。
本来的にはコンテンツの価値というのは時間に囚われる必要は無くて、良いコンテンツは制作者(或いは配信者)の意図を超えてユーザーに消費されるもの。それを無理にコントロールしようとする行為は、本来コンテンツが持つ力を無駄にしてしまう。
先日のラスベガス訪問時に見かけたバットマン(オリジナル)のスロットマシーンなんていうのは典型で、60年台中盤に米国で放映されたテレビシリーズのキャラクターがいまだに愛されマネタイズしているのだ。
日本のコンテンツも、もっと放し飼いにしないとアーカイブの底に埋もれてしまう。
必ずしもすべてのコンテンツが不自由な訳ではない。例えばアニメのキャラクターたちは放送時間という枠を飛び出して価値を生み続けているから。しかし、ことテレビドラマとなると放送時間という枠に囚われてしまう。
いと悲し。