true japan

Its Culture, Business, through a Japanese Marketer's Eye.

言語の統計があったので読み解いてみる

ちょっと前にシェアされていたThe Washington Postのワールドレビュー。なんか違和感を感じてて書こうかと思ったまま寝かしていたが、改めて読んでみた。発表された統計を鵜呑みにしていいのだろうか?

www.washingtonpost.com

日本語を話す人口はそれなりにいる。狭い国土ながら人口が1億3000万人いるわけだから。しかし多様性は残念な結果?

3番目にある”3. This map shows the countries with the most and least diversity of languages ”でわかるように、日本の国内で考えた場合、言語の多様性ランキングでは0〜100スケールで4という多様性の無さ

ただしおもしろいのは韓国が1となっていて、巷で言われていた韓国の学歴偏重主義の割に・・・という感覚。韓国でも40代後半以降とそれ以前の層で、かなりの教育格差があって多言語対応を考えると難しいのかもしれないが、実は高齢層には日本語が分かる人がいる筈なので、日本より多様性があっても不思議は無いはず。この辺りは(独立した国家と認識されているかは別として)台湾の統計があるとおもしろいかもしれない。若年層は英語を履修しているが、高年齢層は内省人台湾語(閩南語)、外省人が普通語(北京語)を母国語として、日本語を話せる人も多い。

ブラジルの6という数値についても、かなりの少数民族がいる訳で、各部族が違う言語を持っていると考えれば、本来はもっとスケール値が上がる筈?

日本が言語の多様性に弱いのは認めながら、実はこの調査がかなり分かりにくいとも感じた。 

というのも、”The probability that two randomly selected people in a country speak different mother tongues. The highest value is 100, meaning every person in the country speaks a different mother tongue. Papua New Guinea holds the top spot, with 98.8.”となっていて、ランダムに選んだ2名がネイティブに2ヶ国語以上を話せる可能性とを測っている。これは統計の手法の一種と思われるので、実際のサンプル数は人口に比例してるんだろうな?と。人口13億超の中国と6000万人のイタリアの傾向を同じ2名というサンプルで測れるわけもなく。

という事で、この発表の項目3は、あまり当てにならないかと。

LinkedInはメディアになり得るのか?

2/17のエントリーにも書いたLinkedIn。今度はオンラインのビデオ学習サイトを買収して、さらに機能拡張をしてきた訳だけど、一体どこに向かうのか?

リンクトインがリンダドットコムを約1,800億円で買収の意味—学びとキャリアのビジネス・プラットフォーム構築へ

潜在層へのアプローチ

さてLinkedInを(転職)人材を掘り起こすプラットフォームとして考えた場合に転職を考えているユーザーを集める必要があるのだけど、一般的なマーケティングを進めていくなかで、顕在層へのアプローチというのは競合関係によってリーチするコストは上がり続ける。その昔コストが低いと言われたリスティング広告でも、競合が競ってキーワードを入札すればコストは上がり続ける訳であって、気がつくと一般的なメディア広告のコストと変わらなくなる事は十分あり得る。

そのため恒久的な顧客(LinkedIn登録ユーザー)獲得のためには潜在層の掘り起こしや育成(ナーチャリング)を推進して、獲得単価の安いユーザーの囲い込み(そもそも母数の増加)が必要。それは、まだ転職を考えていない層にアプローチできるプラットフォームの構築であって、そこがLinkedInの目指すところか。

いまはまだ転職のためのSNSなの?と思われかねないLinkedInであっても、これがビジネスメディアとして成立すれば、そこを就業時間中に訪れるユーザーを増やす事が可能。それを怠ってしまうと、就業中の閲覧に限らずアカウントを持つこと自体が勤務先から禁止されかねないリスクもある。

いまメディア化していくLinkedInの形をみていると、人材市場における転職プラットフォーム的な立ち位置から、ビジネスパーソンのキャリアデベロップメントのプラットフォームに変化しつつある。

キャリアデベロップメントというのは、転職の事ではなくて、自分のキャリアに役立つ知識やスキルを身に着けること。ビジネスパーソン必読のメディアになった上で、そこを訪れるユーザー(転職潜在層)に対して、リクルーティングを掛けるのはありだろう。

人材市場における、このアプローチそのものは別に新しいものではなくて、何十年も前に技術系の雑誌で潜在層に向けた人材広告は出していたので同じことの繰り返しなんだけど、雑誌等のトラディショナルモデルとの大きな違いは、先天的にメディアとして作り上げた訪問理由のはっきりしているプラットフォームに対して従来と関係のないファンクションを取り込んで行くのではなくて、それぞれが別のプラットフォームとして存在する中で、親和性の強いものが合わさって、より強いプラットフォームを構築していくモデル。

LinkedInの現状の主なファンクションを考えると下記のようなものか?

1) スキルやヒューマンリソースのデータベース化(LinkedIn本来の機能)

2) プレゼンテーションの共有(Slideshare

3) プロフェッショナルによる事例や知識のブログ化(インフルエンサーPublisher Platform

ここにビデオによる教育プラットフォームが加わるという訳で、だいぶ機能が拡充されてきた感がある。

※Publisher Platformの日本語説明文はあまりイケていない。” 論説投稿 ”なんて書かれたら、誰も投稿しないだろうにw。ローンチ当初リンクトイン・ジャパンではブログと呼んでいたが・・・・。

この結果、LinkedInが後天的にメディアになっていく。なんとなくGolf Digest Onlineがいろいろなサービス追加でメディア化したイメージに近い?(ゴルフ場の予約サービスにEC機能が追加されて、それにコンテンツが増えた事によってメディアとして広告ビジネスを展開した)

さて、次はどんなファンクションが取り込まれるのか?

文句を言わなきゃ、いつになっても差別は無くならない

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実は手話にも差別表現は存在する。(現在はどうか知らないけど)

私の大学の友人がアメリカの大学で受けたクラス。保守的なカソリックの大学で決して人を傷つけたりしないような教授が手話の講師。

「さあ皆さん、今日は人種について話しましょう」と手話で。

そして、彼女がやったのは、

手で“C”を作って、空いた指で目の端を釣り上げる

「はい、これが中国人です」

そしてその後は当然、”J”が日本人で、”K”が韓国人

そこでヤンチャな友人(日本人)が「それは差別表現なんじゃないか!」

と指摘すると、ニコニコしながら

「あ〜、それは特徴を表しているだけよ。差別とは違うの。」

この瞬間に切れた友人は反射的に、

「じゃあ、黒人はこれでいいんだよな」

と、右手で”A”(Afro Americanの意味)を作って下唇を下にめくって見せた。

この行動に、その教授は烈火のごとく激昂し

「お前はRacistだ!このクラスから出て行け」と。

この反応の違いは、教授(と言うか一般的な人々)が相手(言われた側)がどう反応するか?を気にしていることから。

アメリカと言う国は、歴史的にアフリカ系アメリカ人との確執を経験してきており、彼らが嫌がる事をすると何が起きるかを知っている。だから過敏に反応するのだ。

昔から、ニコニコするだけで自らの主張をしなかった日本人。だまって真面目にやっていればいずれは認めてもらえると言う勘違い。

実は農業大国である米国。その農業を進化させたのは紛れもなく日本からの移民。彼らがいなければ、いまでもカリフォルニアはただの砂漠であったらしい。米国に貢献しているんだよ、日系移民は。

それでも黙っていたら、彼らは日本人に感謝しない。言わなきゃダメなんだ。

1992年のロスの暴動、韓国系移民との確執。アフリカ系アメリカ人との問題だけでなくて、いまやアメリカ人は韓国系についても、良くも悪くも理解し始めている。

でも日本人への理解度って社会貢献の割にはまだまだなんだよね。アメリカの農業を豊かにした、そんな日系移民達を敵性国民として収容所に収監したのだ。もちろん場所によっては待遇に差があって、ハワイにいた私の友人の両親、祖母は決して悪い思いはしなかったそうだ。でも、自国民を収監したのだ。

戦後解放された日系移民達は、自分達が築いてきたサンフランシスコのジャパンタウンに戻ろうとしたが、多くは周辺の貧困層の住民に占拠されていたそうだ。

ガレージ趣味かなわず・・・・

最近趣味に費やす時間がないなぁ〜と思い、たまに妄想に浸って欲しいものを考えてみる。

4〜5年前までは結構オフロードのレースも出たりして、ガレージライフを楽しんでたんだけど、遠征とか何とかに時間を取れなくなった事と週明けの業務がきついのでやめちゃったし、レース系から離れて乗り出したツーリングバイクも中々乗る機会がない。

そろそろノンビリと走れる乗り物が欲しいのだけど、最近の日本のメーカーは心ときめく乗り物を作ってくれない。

かと言って、外車も最近のものだと、ちょっと電子制御が多くて自分でいじるところが無くなってきているのは、趣味の機械としてはつまらないかな。

二輪ならBMWKTMあたりから、ちょっと趣向を変えてHarley Davidsonか。世のBM乗りとHarley乗りはお行儀が良くて、皆さん同じようなカスタマイズしかしていないのが??。アメリカで見るような、キッチャナイ人たちは少ないか。ただ欧米の方が機械を楽しんでる感はある。まあ、最近のBMはユーザーがいじれないところ増えてきたので、その辺はちょいとときめくが少ないか。

あえてBMW乗るなら、この辺りはイケてるなと思う。

http://www.ritmo-sereno.com/complete/rocket_r.html

80年代のOHVフラットツインをベースに仕上げてるけど、基本BMWは世界的にリプレース部品が流通しているのでこの年代でも問題なく維持できそう。

国産なら間違いなくSRか。基本設計は古いけど部品は充実していて、ノンビリも走れるけど弄ればかなり速いしね。

ベース車両を確保したとして、最低吸気/排気とボア/ストロークはいじらざるを得ないので、こちらでプラス○十万円コースか。

車も最近はあまり飛ばす訳でもないので、ノンビリ系がいいが(別に旧車がいい訳ではないが)古いビートルとかMGBをさりげなく乗るとかっこよいか。

ただ現実的に言うと、旧車の維持なんて大変だし、日本の高温多湿の環境は決して機械にやさしくないから、こんな選択肢になるのかな。

http://singervehicledesign.com/

本当は356とか欲しくても、そんなLooksのレプリカもあるし

http://www.intermeccanica.co.jp/im_index.html

ガレージライフとかモータースポーツライフなんて、一握りの特権階級のものじゃなくて、気楽な趣味としてやっていける土壌が欲しいもの

とは言え、今まで散々やってきたのぉ〜。

GASGAS、KTMKTMKTMKTMKTM

多様性(Diversity)はリスクなのか?

本来は社会には多様性が必要で、それがあらゆる環境変化に対応できる強みとなるのが、ダーウィンの進化論が表すところ。

 

www.huffingtonpost.jp

日本の中央政府にいるエリートあたりからしてこのレベルなので、まだまだ日本では多様性を受け入れないのが一般的。

そもそも多様性を強みと考えている米国では、テレビの番組ひとつをとってもダイバーシティーは求められていて、日本の戦隊モノのリメイクとかは正義の味方側の隊員とかも人種の構成比に合わせて、白人、アフリカ系アメリカ人、ラテン、アジア人によって構成されている。

変化し続ける環境への適応性を持つと言うことは、全滅のリスクを回避すること。したがって多様性を持った集団のほうが、長期的には生き残りの可能性が高い。

多様性を否定するのは、この人も同じか。

曽野綾子さん、批判にラジオで反論「差別ではなく区別」「撤回するつもりない」